コーヒーコラム 名窯とコーヒーカップ KONO式  コーノ

コーヒーコラム 名窯とコーヒーカップ
 
 
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◆◇ 16.名窯とコーヒーカップ ◇◆

 

■WEDGWOOD ウェッジウッド(イギリス)

  イギリス随一の規模を持つウェッジウッドは、「イギリス陶工の父」と讃えられたジョサイア・ウェッジウッドが一七五九年に創設した会社です。
彼の陶磁器に対する飽くなき探究心は、陶芸技術の向上をもたらし、多数の名作を誕生させました。そのひとつが、創業の頃に発表したクリーム色のきめ細かい肌の硬質陶器「クリーム・ウェア」。当時としては画期的な、この柔らかい色合いの陶器は、その後、ジョージ三世の妃シャーロットより「クイーンス・ウェア」と呼ぶことを許されました。
一七六九年、ジョサイア・ウェッジウッドはイギリス窯業の中心地、ストーク・オン・トレント近郊に最新式の工場を建て、土地の名をとってエトルリアと名付けました。この年、ロシア大使に任命されたカスカート卿が、ウェッジウッドに注文して作らせた食器を任地に携えていきました。これをきっかけに、ウェッジウッドの食器は、強大な権力を誇っていた女帝、エカテリーナ二世をはじめ、ロシア貴族の注目を浴び、エカテリーナの注文を受けることになります。
それは宮殿で使用する五〇人分のディナーセットで、セットの模様をすべて違うものにすることが条件でした。これにこたえたウェッジウッドは、エトルリアからロンドンまでのさまざまな風景を描いて仕上げました。
また一七七四年には、ウェッジウッドの名をさらに高めた「ジャスパー」が発表されました。英語でストーンウェアと呼ぶb器(せっき)に、白いレリーフ(浮き彫り)を貼り付けたもので、現在でもb器を代表する製品です。レリーフの模様は、ジョサイア・ウェッジウッドの長年の夢だったギリシア神話をモチーフにしています。
「最高の陶工」と称されたジョサイア・ウェッジウッドから、息子のジョサイア二世に引き継がれたウェッジウッド社は、この時代にボーン・チャイナを完成させます。

 

■SPODE スポード(イギリス)

  イギリスのスタッフォードシャー出身のジョサイア・スポードは、幼いころから陶工としての腕を磨き、十七七〇年に自分の工房を持ちました。スポード窯の幕開けです。
それまで、マイセン、セーブル、デルフトなどの他国の窯に、とかく後れをとりがちだったイギリスの陶磁器界が、やっと近代化の波にのりだした頃でした。この流れは、ボーン・チャイナの出身でますます拍車がかかります。磁器の原料に動物の骨灰を加えたボーン・チャイナは、高品質の製品として完成させるのに時間がかかりました。
この工業化に、ほぼ時を同じくして成功したのが、スポードとロイヤル・ウースターです。スポードはすでにジョサイア二世の時代に移っていました。
半透明な白い美しい肌に加えて、堅牢さを備えたボーン・チャイナの完成は、ヨーロッパ中の陶磁器界にも画期的なできごとでした。特に、コーヒーや紅茶のカップにとっては、より一層美しいものの出現を見ることになりました。
スポードは、こうした仕事が認められ、一八〇六年にジョージ四世から、王室委任状が与えられます。その後も王室や貴族の庇護のもとに、伝統的にな製品作りを続けてきました。現在でも、華麗な金彩の絵付けが、この窯の特徴といえるでしょう。

 

■ROYAL CROWN DERBY ロイヤル・クラウン・ダービー(イギリス)

  ロイヤル・クラウン・ダービーは「陶磁器の故郷」といわれるイギリスでも、最も伝統のある窯のひとつ。創業は十七五〇年頃といわれ、イングランド中部のダービーに窯を開きました。
一七五六年、このダービー窯にウィリアム・デュースバリーが加わって、ニュードレスデンと呼ばれる様式のテーブルウェアや、美術工芸品が盛んに制作されました。また、ロンドンからもすぐれた職人が集まり、第一次黄金時代を迎えたダービー窯は、ジョージ三世より「王室御用達」を許されます。
十九世紀にはいるとすぐ、ボーン・チャイナ生地を導入し、後半にはダービー窯の名を世界中に広めた「ジャパン」や「イマリ」が誕生します。リチャード・ラン作の、伊万里焼を模したこれらの作品をはじめ、この時代には次々と名品が生まれます。一八九〇年には、ビクトリア女王からも「王室御用達」の指定を受け、「ロイヤル」と「クラウン」の両方の称号を関するようになりました。
しかし、経営面では常に順調というわけにはいかず、何回か危機を迎えたのち、現在はロイヤル・ドルトン・グループの傘下にあります。十八世紀の黄金時代の伝統をそのままに伝えた、風格のあるコーヒーカップも、昔と変わらず作られています。

 

■ROYAL DOULTON ロイヤル・ドルトン(イギリス)

  十八世紀末から十九世紀初頭にかけて、イギリスには次々と新しい窯が誕生しました。ロイヤル・ドルトンの創業も、この時代の一八一五年です。弱冠二二歳のジョン・ドルトンは、テムズ河畔ランべスにあった窯の共同経営権を手に入れたのです。
当初、ドルトンは食器ではなく土管のようなものを焼いていましたが、これが大きな収益をあげ、息子のヘンリーの時代に、テーブルウェアや、美術品の制作を始めます。窯業の中心地ストーク・オン・トレントのバースレムに窯も移し、優れたデザイナーや職人を集め、今日のロイヤル・ドルトンの基礎を築くのです。
その後、ボーン・チャイナの導入などでドルトンの名声はさらに高まり、一八八七年にはヘンリー・ドルトンに、ビクトリア女王より「ナイト」の称号が授けられます。窯業関係者では初めてのことでした。続いて一九〇一年に、エドワード七世から「王室御用達」も認められ、以来ドルトンには「ロイヤル」の称号がつくことになります。
拡張と伝統を重んじる製品作りの一方で、現代てな親しみやすいテーブルウェアや、子供用食器などの開発も行っています。当時の最先端ともいえるコンコルドの機内でも、ドルトンの食器が使われています。

 

■SEVRES セーブル(フランス)

  ヨーロッパ最高の窯として、マイセンと並び称せられるセーブルは、一七三八年に、その前身のヴァンセーヌの窯の名で誕生しました。
ルイ王朝の栄華と威信を、より高める目的もあって、時の王室財務長官オルリー・ド・フルビが、陶工デュポア兄弟を招いて開いたのです。美しい白磁の焼成に続き、一七四九年に有名な「ブリュー・ド・ロア」と呼ばれる、セーブル窯を代表する青い色の焼成に成功します。
その後、ヴァンセーヌ釜は王立陶磁器製造所と改められます。学問や美術に理解のあったルイ十五世の支配下で、ベルサイユ宮殿をはじめ、ヨーロッパ各地の王室を彩る食器や装飾品が作り出されます。
王の愛妾ポンパドゥール侯爵夫人の、この窯に寄せる関心と要求も大きく、工場は彼女の館に近いセーブルに移します。華麗な色彩の「ポンパドゥールのばら」をはじめとする名品も次々と生まれました。
フランス革命後は国立セーブル陶磁器製作所として再出発をします。現在でも注文を受けたものの制作しか行わないシステムですから、アンティックを含めても、製品の数は限られています。セーブルのカップでコーヒーを、というマニアの想いも、簡単には果たせないようです。

 

■GEORGES BOYER ジョルジュ・ボワイエ(フランス)

  中部フランスのリモージュは、十八世紀に白陶土カオリンが発見されて以来、磁器の町として知られています。
リモージュでは、ルイ王朝のセーブル窯偏重政策によって、白素地をセーブルに供給していただけの下請け時代もありましたが、十九世紀には、多くの民間釜が誕生しました。現在、この街には大小とり混ぜ、陶磁器とその関連会社が七〇〜八〇社はありますが、ジョルジュ・ボワイエは、その中でもリモージュを代表する窯のひとつです。創業は今世紀の初め一九一〇年で、ジャン・ボワイエによるものです。一九三四年に、息子のジョルジュが、規模を改めて再出発し、現在はジェラールが、父から経営を受け継いでいます。
ジョルジュの時代、次々と新作を発表するかたわら、新時代のニーズに対応できる最新の技術の導入も行って、リモージュの中心的な位置を確立しました。
現在のジェラール・ボワイエは、フランス的エスプリに富んだ、高級テーブルウェアの制作に取り組んできました。そのためには熟練工たちの優れた技術と、芸術家たちの豊かな意匠との協力が欠かせません。こうしてでき上がった一〇〇種類にあまるモデル・パターンは、一八世紀のクラシックからモダンのスタイルまで、変化に富んだものです。そして、そのすべてのモデルは最低二〇年は作り続けられているのも、ジョルジュ・ボワイエの特徴といえます。

 

■HAVILAND アビランド(フランス)

  焼き物の街リモージュで、ジョルジュ・ボワイエと双璧をなすのがアビランド。アメリカ人のデビッド・アビランドが一八四二年に設立した窯です。
このニューヨークに住んでいた貿易商が、リモージュに磁器工場を持つことになったきっかけは、一八三九にさかのぼります。ある客が、純白で薄手のカップを携えて彼のもとを訪れ、同じものでティーセットを揃えたいと注文しました。メーカー印もないこのカップの品質の高さに感心した彼は、その出所をリモージュと鑑識し、フランスに渡ったのです。彼はそこで、将来性のある磁器産業を目のあたりにし、工場を開設。アメリカ市場を意識した製品作りを始めます。
彼の没後、息子のテオドールは、芸術家たちの協力で、印象派風でデリケート、情趣豊かなアビランドのスタイルを確立します。また、ゴーギャン、ラリック、コクトーなどによって、さらに芸術性の高い製品づくりに拍車がかけられます。
「今日の前衛は明日の古典である」をモットーに制作を続けているアビランド社は、一九七一年に、生産性の高い最新鋭の設備を拡充し、格調高い製品作りにも、変わらぬ情熱を傾けています。

 

■RICHARD GINORIリチャード・ジノリ(イタリア)

  リチャード・ジノリは一七三五年、カルロ・ジノリ侯爵が自領ドッチア(現在のフィレンツェ郊外)に開設した窯。当時はドッチア窯と呼ばれていた。
トスカーナ公国行政府の重鎮で、貴族院議員だったジノリ侯爵は、鉱物学にも深い造形を持つ進歩的な人物でした。すでに、ドイツやオーストリアにはマイセン窯やウィーン窯がありましたが、ドッチア窯は、これらと並ぶ本格的な磁器工場として出発しました。
初期のドッチアの製品は、白地に型紙でコバルトブルーの絵柄をつけるだけの単純なものでした。これは、作陶に関しては素人である領内の農民の労働力を利用するためにとられた手段なのです。しかし一方で、画家のカルロ・ヴァンデリン・アンレイターを招き、陶工たちに多色画法の指導もさせるなど、指導者の招聘も怠りませんでした。
一七五七年、カルロ・ジノリ侯爵が亡くなり、工場は若い三人の息子たちが引き継ぎました。長男のロレンツォは後年、二人の弟を排し、彼の没後も何人かの経営者がドッチア拡張に努めます。制作の傾向もネオクラシック、インペリアル、リバティーと、時代やアーティストによって変化します。
イタリアをはじめ、各国王室から特別の注文も絶えずあり、特に一八七二年のエジプト王家のためのディナーウェアは見事なものでした。
一八九六年、ドッチアはミラノのリチャード社と合併し、現在のリチャード・ジノリ社が誕生します。大きな企業として脱皮してからは、美術製品以外に、実用的な陶磁器も制作し、パイレックスのような耐熱食器の開発も行います。
家庭用や、レストラン用として、決してすたれることのないアンティックなモデルものの制作は、いっそう盛んになって現在に引き継がれています。
第一次大戦後に迎えた、若いアートディレクターのジオ・ポンティは、そのユニークで多彩な才能で、ジノリの製品に大きな影響を与えました。
今世紀前半の二回のパリ万国博での大成功も、この建築学科出身の造形家の活躍によるものです。第二次大戦後は、彼の弟子で後継者となったジョヴァンニ・ガリボルディが、現代的なデザインにとりかかり、リチャード・ジノリの多彩な製品に、さらに新しい分野が開けました。

 

■MEISSEN マイセン(ドイツ)

  ヨーロッパ最古で最高の窯、と自他ともに認めるマイセンは、ヨーロッパ陶磁器の原点でもあります。
十七世紀、多数の小国がひしめき合っていたドイツで、最も栄えていた国のひとつがザクセン。この国の選帝侯アウグスト二世に、いわば囚われ人として黄金作りを命ぜられていたのが、ヨハン・フリードッヒ・ベトガーでした。彼は、さまざまな経緯の後、白肌の磁器の製造に成功します。ヨーロッパ王侯の誰でもが手に入れたがっていた「白い黄金」の製造方法、選帝侯の厳重な秘密保持にもかかわらず、ヨーロッパ中に広まります。
ともかくも一七一〇年、アウグスト二世はヨーロッパ初の硬質磁器製造工場を、マイセン市のアルブレヒト城に設立します。マイセンの磁器が色彩の面で完成を見るのは一七二〇年代、形態に豊かさが加わるのは一七三〇年代。その後、工場は国営化され、現在は一三〇〇人以上の従業員を抱える大規模な工場に発展しています。
今日のマイセン磁器の特徴は、熟練した腕を持つ技術者が、十八世紀のモデルを再現していることです。磁器の持つ美的可能性を最大限に発展したこの時代は、人々を魅了したコーヒーカップも次々と生まれマイした。これを現在に引き継いでいるのです。

 

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