コーヒーコラム コーヒーを「味わう」 KONO式  コーノ

コーヒーコラム コーヒーを「味わう」
 
 
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2004.9〜2006.10

バラ ローズコレクション 

 
 

◆◇ 10.コーヒー・アルマナック COFFEE ALMANAC ◇◆

 

かつてコーヒーを発見した人類は、今やその魔力の虜。
コーヒーなしには夜も昼も明けぬ、歌うはコーヒー狂騒曲。
古今東西、コーヒーにまつわるオモシロ逸話を集大成!

 
 

◆◇ ギアナの恋物語 ◇◆

 

 どうしてもコーヒーが飲みたい。苗がほしい。そのために、いくつかのドラマが生まれた。
  十八世紀フランス領ギアナ。当時、この国ではコーヒーの持ち出しを禁じていた。禁を犯した者は死刑というスゴイ罰を科した。
  さて、所変わってポルトガル領ブラジル。ブラジルでは、なんとかコーヒーの栽培をしたいと思っていた。が、コーヒー栽培の盛んなギアナは持ち出しご法度だ。そこで考えた。一七二七年、ブラジル政府はギアナへの親善大使団を派遣した。団長はフランシスコ・バルヘタ大尉。が、これは建前で、本音はコーヒーの『実』を持ちかえることだった。
  さて、大尉はというと、目的はなかなか果たせないままにギニアでの日々が過ぎていく。しかも、思いがけずにギニア総監督夫人との不倫まで。そしてとうとう帰国が迫る。ある日、夫人主催の送別会が開かれた。そこで夫人は、ブラジルからのプレゼントのお礼にといって、大尉に花束を贈った。『赤い実をつけたコーヒー』の枝が隠れるくらい大きな花束を。

 
 

◆◇ コーヒーを飲むと舌がなくなる? ◇◆

 

 悪魔の飲みものだといわれたコーヒー。コーヒーが一般的な飲みものになるにつれ、弾圧や禁止令はあちこちで行われた。異端者の飲みものだから、飲むなとか、コーヒーそのものはいいけど、それを飲むために店いっぱいに人が集まるのはいけないとか。
  一五一一年には、メッカにあるコーヒー店が手入れを受けた。風営法違反というわけか。
  一七世紀のコンスタンチノープルでは、もっと恐ろしいことがあった。コーヒー大好き人間は舌を抜かれたり、コーヒー豆の入っていた麻袋にいれられ、水中に投げられてしまったのである!

 
 

◆◇ 羊をとるか鳥をとるか。どうぞご自由に! ◇◆

 

 コーヒーの発見説には二つの話がある。
  一つは、イスラム僧オマールの発見説。十二五八年ごろ、アラビアの僧オマールは罪に問われ、イエメンのオーサバ山に追放された。飢えと戦い、山中をさまよっていると、一羽の鳥が赤い実をついばんでいるのが目に入ったそこで自分も食べてみると、空腹は癒され、身体もピンとして活力が湧いてきたのである。後に、彼はこの赤い実を病人たちに与え、多くの人を救った。このおかげで彼は罪を解かれ、しかも聖者として尊ばれた。
  もう一つは、エチオピアの羊飼いカルディの発見説。十四四〇年ごろの話である。空が暗くなっても羊たちが騒いでいる。カルディは不思議に思って見ると、羊たちは赤い実を食べて興奮しているのであった。彼は修道士たちを呼び、やはりこの赤い実を口にしてみた。すると、さきほどの羊たちのように、自分たちも身体中に精気がみなぎってきた。修道士たちは、後にこの赤い実を秘薬として珍重した。

 
 

◆◇ 人体実験までしてコーヒーを疑った国王 ◇◆

 

 スエーデンにコーヒーが入ったのは、他のヨーロッパ諸国に少し遅れて、十八世紀初頭になってから。
  それでも、人々は、なんだかまだコーヒーのことを知らない。変な飲みものぐらいに思っていたらしい。
  実際、何度も禁止と自由を繰り返していたのだった。今の世で考えるとバカバカしい話であるが、このコーヒー暗中模索時代は、やがて紅茶党とコーヒー党の争いごとにまで発展してしまったのである。
  国王グスタフ三世は、この、まだ正体のつかめない、コーヒーというものを、人体実験で観察することにした。その方法とは、ひとりの死刑囚に、毎日コーヒーを大量に飲ませ続けたのである。そして特別の医者をつけ、この死刑囚の身体の変調をことこまかく観察させた。しかし、いつまでたっても何の変化もない。まるで健康である。それでも国王は、コーヒーが何たるかがわからない。それで、さらに、医者に観察を続けさせたのである。そうこうするうちに歳月は過ぎ、当のお医者様は年をとって、無くなってしまった。死刑囚はピンピンしている。そしてついに、国王自身も十七九二年。暗殺されてしまった。
  果たしてあの死刑囚の運命やいかに。
  記録はこの前で終わっている。

 
 

◆◇ フランスのカフェの仕掛け人はルイ十四世 ◇◆

 

 昔、王の庭にコーヒーの木があった。
  十六四四年、ルイ十四世は初めてコーヒーを口にした。それ以来、コーヒーの魅力にとりつかれて愛飲していたという。"朕は国家なり"といった王様が好んだ飲みものである。当然国民もそれに従いコーヒーを飲んだ。かくして、コーヒーはたちまちフランス社会へと浸透していったのである。
  ルイ十四世にまで届いた苗木のルーツは、ジャワ島に始まる。ここからオランダのアムステルダムへ送られ、その成長した苗木をアムステルダム市長は、ルイ十四世にプレゼントしたのであった。

 
 

◆◇ 五本木の苗木が一五〇万トンの豆を生んだ ◇◆

 

 世界第一の生産を誇るのはブラジル。わずか五本の苗木からスタートしたといわれるが、その気候・風土がコーヒーの相性とあっていたのだ。
十九二〇年代には、世界生産品の八〇%を占めた。現在は、年間約一五〇万トン。世界の生産量の約三三%である。
  第二位がコロンビアで六五万トン、一三%。そしてメキシコ、エルサルバドル、グアテマラと続く。インドネシアも上昇中だ。

 
 

◆◇ ブラジル経済を動かした三人の巨星 ◇◆

 

 世界に知られるブラジルのコーヒー王三人。
  まずジョアキン・ブレーベス。彼の農場で働く奴隷の数は数千人にも及んだ。そして十八八七年前後には、ブラジルのコーヒー生産量の一割以上の収穫を上げている。奴隷解放後は、ヨーロッパなどから渡ってきた移民たちを雇っている。
  フランシスコ・シュミット。彼は、名前のとおりドイツからの移民者だった。一介の労働者から、八〇以上もの農園の経営者となった大出世頭である。一九二四年、七四歳で亡くなったが、屋敷はコーヒー博物館として残っている。
  三人目、ジュレミア・ルナルデリ。ルナルデリはイタリア生まれ。三〇歳のころ、初めて手にした農園に、コーヒーの木は三万五千本。これが四〇年後、実に一八〇〇万本にも増えた。一九六二年没。"コーヒー界の巨星墜つ"と報道された。

 

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